祇陀寺の歴史

祇陀寺(ぎだじ)は、大智禅師を開闢開山とする曹洞宗の寺院です。
大智禅師の遺志を継いだ弟子の光厳長老が港月庵を建立し、およそ210年後に久山俊昌和尚が南部利直の家臣河村一夕斎の帰依を得て港月庵を復興し、青龍山祇陀寺と改号しました。天正8年(1580)のことです。

寺号の「祇陀(ぎだ)」は、釈尊に祇園精舎を施入した祇陀太子に因みます。
付近一帯は盛岡市が環境保護地区に指定した「寺の下寺院群」で、すぐ隣には市民に愛用されている共同井戸「青龍水」があります。青龍は祇陀寺の山号です。

境内案内

山門

山門と扁額

明治36年に建立された山門の屋根には、祇陀寺の雨龍の紋と龍が見えます。
扁額「青龍山」は、西有禅師の揮毫によるものです。
門前の石柱には「禁葷酒(くんしゅをきんず)」と刻まれています。

前庭・ギダジベニ

「参拝者の気持ちが安らぐ庭」をコンセプトに設計された前庭は、早春から初冬まで花が絶えることがありません。
また、境内には「ギダジベニ」という祇陀寺にしか咲かない珍しい品種の桜があります。

十六羅漢と宗龍寺

十六羅漢

茶畑児童公園(通称ラカン公園)には、巨大な石造五智如来と十六羅漢の尊像があります。
これらは、南部藩の四大飢饉における餓死者の供養のために、祇陀寺十四世住職・天然和尚が発願し、弟子や多くの人々の喜捨によって嘉永二年(1849)に完成したものです。

かつてここには祇陀寺の末寺「宗龍寺」がありましたが、明治維新後に祇陀寺に併合されました。
石像は昭和40年に盛岡市に寄付され、現在は市民の憩いの場として親しまれています。

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